NHKのドラマの記憶。
まだ小学生だったと思う、両親と一緒に何気なく見ていたNHKの短編ドラマだ。
その記憶を頼りに作ってみた。

山間の小さな集落の村びとが、野良仕事を終えて夜、観音様のお堂に集まっている。主食である米づくりはこんな山間の村でも棚田にして作る。自ら食べるためと国に供出する。戦後復興で米づくりを国が奨励していたのである。今年はもう収穫が終わった。「おめぇのとこの米、出来がいいぞ。今年の品評会にだしてみれや」とある年嵩の農夫が若者に言った。
「おお、おめぇんとこのが村一番だ。味もいいし、どこに出しても恥ずかしくねぇど、名誉なこったデ」とにこにこしながらもう一人の男が言った。言われた若者はテレながら「ほんとにおれのでいいのか?」「ああいいよ、あんだけの土地、よくここまでした。たいしたもんだ。なあみんな」「そうだ、そうだ」
17才の若者は父親と兄を戦争で亡くし、母親は病気がちでねたきり、小さな弟と妹が二人いた。腰がまがった祖母と二人で一生懸命耕してつくった小さな田んぼだった。中学校も休みがちで田んぼづくりに頑張ってきた。学校の担任も「おめえは出席足りねえども、よくやってる、卒業はさせてやっからな。」と言ってくれ、中学は卒業できた。朝から晩まで真っ黒になって働いていたのを周りの村びとはみな知っている。暖かい村人達ばかりだ、そしてみんな同じく貧乏だ。兄が言っていた「戦争から帰ったら日本一の百姓になる」が、彼を奮い立たせていた。
この村から山を二つ超えたところに別な集落がある。そこに大きな神社があり、毎年そこで近隣の村の米の品評会を秋の豊作を祝う村祭りのアトラクションとして数年前からやっていた。豪華商品が用意されていた。7つの集落からそれぞれの代表が出来た新米を持ってきて、農協の農業指導員やら役人が評価し、表彰する。
「そんじゃあ俺と南のうちのあんちゃんが一緒にいってやるからな、朝早ええど」「うん、一等賞になってくるで」と誇らし気に若者は言った。
村祭りの当日朝暗いうちから、山道をしょいこに米をかついで歩いた。これから自分の作った米をみんなに自慢できると思うと若者の心は弾んみ、足取りも軽かった。山を超えて着いた大きな集落のその村は、盆地であるが平らな田んぼが升目になってずっと続いていた。自分の村の棚田とは大きな違いだ。自分の村では見ることのない白い塀に囲まれた立派な家があった。
神社には近隣から沢山の人が集まってきていて、賑やかだ。屋台の出店も参道の両側に出ている。自分の村の祭りとは桁違いだ。「弟や妹にも見せてやりたかったな」。
いよいよ品評会だ。米は提出した。
「ええ、審査は終了しましたが発表の前に今年は趣向を変えて、利き米コンテストをやってみようと思います。それぞれの代表者がどの米がいいか、炊いた御飯と生の米を7つづつ用意してますので自分で順番をつけてもらいます。ぴたり当てた方にも豪華商品を用意しています。」「おお、おもしれえな」と若者。
壇上には白い布をかけられた長いテーブルが用意され、それぞれの村の名前を書いた名札のそばに茶碗に盛ったごはんと小皿に米を入れて並んでいた。村からの代表者が順番にひとくちふた口、口にして首をひねってまた食べている。若者も祖母や弟達へのお土産ができればと必死で口にした。
「ええ発表します。利き米コンテストでみごと順番をあてた方がいます。」若者の村の名前と若者の名前が言われた。「おいお前だ!」と南のうちのあんちゃんが喜んだ声で言い若者を見ると、若者は首をうなだれて肩を震わせて大粒の涙を流していた。「どうした、嬉し泣きか?」「違う、嬉しくなんかねえ。おらほの米が、村一番の俺の米が一番まずかった」。
たぶん、こんなストーリーだった。私はこのドラマをみて号泣している両親をみていた。
私の父も12才で相次いで両親を亡くし、学校も欠席しながら家族の支えになって野良仕事をやったと聞かされていた。自分とオーバラップしていたのだとも思う。米は国策であったため様々な土地の条件でも作らなければならない。先祖から与えられた有り難い土地ではあるが、反面どうしようもないこともある。どんなに頑張っても肥沃な土地にはかなわない。そして自分では選べない。これは農家の次男ではあるが私にとっても考えさせられるドラマとなった。脈々と流れる百姓の血は私にもまたあるのか。歳を重ねたいま、ときどき思い出して泣くようになってしまった。
ちなみに私は実家に帰った時、車に積んでもらうオヤジの作った米が今はこの世で一番美味しい米だと思っている。-2000